「癒し語りカウンセラー」肩書誕生!


**名付け親・前田めぐるさんからのメッセージ



午後の光が差し込む京都の和室で、
ゆかりさんと私は差し向かいに座っていました。
「心を洗う癒し職人」。
それが、その時のゆかりさんの肩書きでした。
お話を聞きながら 少しずつ 
「職人ではあるけれど、職人ではないのかもしれない」
そんな思いが湧いてきていました。

 

職人は、物を作るのが仕事です。
デザイナーは、物を設計し管理するのが仕事です。
自分でつくることも、
設計して職人さんに作ってもらうこともできるゆかりさん。

 

お客様とお話をして、
その人に合わせた香りや石鹸をお届けするゆかりさん。
ずっとずっと、石鹸にこだわってきたゆかりさん。
職人でもあるようで、デザイナーでもあるようで、
でももっと本質的な、何か……。

 

ゆかりさんの手から生まれるものが
「代わりがない石鹸」「無くなると寂しくなる石鹸」とまで
言われるのはなぜ?
「無くなると不便」「無くなると困る」なら、
ただの物です。
ただの物なら、寂しくはない。
代わりがききます。
けれど、寂しい、代わりがきかない。
なぜ?
きっと、石鹸であって石鹸ではないから。
物であって、物ではないから。

 

物という思い込みを手放したほうがよさそう。
なぜならゆかりさんのメッセージには
いつも「作る」ではなく「こしらえる」と書かれていました。
「こしらえる(拵える)」には
「事に当たる十分な体勢を整える」という意味があります。
ご自身でも「物ではない」という気持ちが
どこかにあったからだと思うのです。
じゃあ、ゆかりさんの手が「こしらえて」いるのは何?
それは、きっと………「結晶」なのです。
ゆかりさんが香りを紡ぐ時
「見えているところを見るのではなく、
樹でいえば根の部分を感じるという作業」が
欠かせないそうです。
お客様の思いをひたすら聴き、
問いかけ、イメージし、
お客様の痛みを知り、ともに悲しみ、
お客様の喜びを知り、ともに喜び……
たくさんの思いを受け入れてきたことへの答えが
「石鹸というカタチ」に託され、結晶化されたもの。

 

つまりは、言葉が、気持ちが往復する過程で、
お客様は癒され、石鹸を心待ちにし
届いて、使ってみて、
あらためて、ゆかりさんの言葉や声を思い出し……
何度もなんども柔らかな泡に触れるたびに、
少しずつ笑顔が増えていく。
これは、カウンセリングでいうセッションです。
 
期せずして、ゆかりさんがずっと行ってきたこと、
こしらえてきたこと。
石鹸というただの物ではなく、
そこにいたるお話もまた欠かせない。
石鹸というカタチに結晶化させた
カウンセリングなのだと思いました。

 

サイディエゴと鹿児島、
介護をしながら行き来する
アメリカと日本のデュアルライフの中で
様々な出来事を
時に俯瞰し、時にじっと見つめる中で
編み上げてきた言葉たち。

 

さらに特徴的なのが、その声。

 

私の周りにいる誰の声にも似ていない
ゆかりさんの声は
まるで竪琴の音色のようにゆっくりと響き、
優しい余韻を残すのです。
人を急かさず、どこまでも待ち、寄り添う声を
じっと目を閉じて思い出していると、ふと
「癒し語り」という言葉が浮かんできました。

 

無くなると寂しくなる石鹸。
乳白の清浄な艶めき。
こっくりと包み込む豊かな泡。
懐かしい記憶がよみがえるような香りや言葉。
震える心を、待ち、癒し、支える声の余韻。

 

五感で伝わる全てが渾然一体となっているのが
「癒し語りカウンセラー」
リッチゆかりさんの
癒し語りセッションなのです。