歩み① 石鹸誕生、サンディエゴにて


リッチゆかりは、10代の多感な時期を故郷の鹿児島で過ごしました。子供の頃は、雲を見るのが好きでした。
同じ雲はひとつもなく、どんどん変化することが面白く、ずーっと眺めていることができました。
 いい匂いに敏感で、お菓子の箱を捨てることができず、引き出しはチョコレートの空き箱だらけでした。
いつも叱られ、夢を語ると笑われ、認めてもらえない孤独さは、チョコレートの空き箱のにおいで和らいだ感じがしました。
 
子供の頃のそんな気持ちを箱に入れ、カギをかけたまま、18歳で東京に飛び出し、美術を学びました。
やがて、アメリカ人の主人と出会い、結婚。
以前から想いのあった福祉の世界に飛び込みました。
駅の近くの家政婦紹介所の看板を頼りに、最初は家事手伝いを。
ようやく世の中にでてきたホームヘルパー2級の資格を取得しました。


家庭訪問型のヘルパー業務を3年経験後、渡米。
新天地アメリカ・イリノイ州シカゴで体感した、光と影。

生きる、ということを考えさせられる毎日の連続でした。
銃声が響く。道端には血痕がべったり。その脇に寝ている人・・・。
目前に広がる光景の異常さ、経験したことのない治安の悪さ、凍りつく寒さ。
大学院生の主人は、無収入で、日本での貯金を切り崩しながらの
生活でした。
 
どうやったらここで生きていけるのか。
2003年7月、2年のシカゴ生活を終えて、カリフォルニア州サンディエゴへ。引っ越しても主人の就職先は、見つからないまま。
不安に押しつぶされそうになりながらも、新天地での初めてのクリスマスが訪れようとしていました。
 
クリスマスギフト、どうしよう。高価なものは買えない。
ふと両手を見れば、超敏感でひどい乾燥肌の自分を放置してきたと気づきました。
渡米してからずっと、日々を過ごすのに必死だったんですね。

さあ、どうしよう。たどり着いたのが、手芸品店の手作り石鹸スターターキットでした。

本当に困ったとき、人は「創意工夫」をするものなのですね。
自分の肌をみるみる改善してくれる石鹸。
大事な人への贈り物にもできる石鹸。
手作りのオリジナル石鹸への目覚め。

それは、クリスマスという神様の誕生日がワタシに思いつかせてくれた
奇跡の出会いでした。

それからは、ひたすらに、試行錯誤の繰り返しです。

ただ作るのではなく、創意工夫のもと「こしらえる」という意識で、石鹸に向きあいました。
転機は、ファーマーズマーケットへの出店。
アーティスト2年待ちのサンディエゴで一番大きなそのマーケットで、店を構える日本人オーナーたちとのご縁をいただき、サンディエゴダウンタウンでの小売り販売、スパでのオリジナル商品開発を手がけました。


時はリーマンショック後のアメリカ。某オンラインショップからのオファーで、たった1種類の「ゆかり石鹸」を年間1000個完売。

その後も4年にわたり扱われました。


石鹸をこしらえることは、暮らしだけではなく、心と身体のを支えてくれました。
2010年10月、母がクモ膜下出血で倒れた折も、術後リハビリの必要な鹿児島の母のもとからサンディエゴに2週間だけ戻り、石鹸を250個と 主人の ごはんストックをこしらえました。3か月の間に3往復。
思えば、驚異的なスケジュールでした。


前後して、小売店の販売促進のための
オリジナルブレンドエッセンシャルオイルを創作。

その香りの手作りせっけんを 年間5300個こしらえました。


1か月で、実に600個以上。石鹸の材料の手配、管理、こしらえ、包み、仕上げを たったひとりでやりきったんです。

お客様から 「ゆかりさんが、石鹸に埋もれて死んじゃう」と
心配されるほどでした。


朝7時から夜中の2時、3時までのフル稼働体制の私に、主人は口癖のように言いました。
「お願いだから、今日は寝てください」と。


けれど、やりきりたかった。なんとしても、やりきりたかった。

趣味の範疇を超えるために、 1万はこしらえなくては、その先には行けない。そう思っていたからです。


気がつくと、とっくにその数を、超えていました。

自分のなかで何かが弾けた瞬間でした。

・・歩み② 障がい者支援とゆかり石鹸 につづく