歩み② 障がい者支援とゆかり石鹸


    

歩み①石鹸誕生 のつづきです。


自分をいたわるために。

大事な人への

クリスマスギフトとして。

 

そんなきっかけで

こしらえ始めたゆかり石鹸は、

いつの間にか

ワタシだけのものでは

なくなっていました。

石鹸であって、石鹸ではない。

心を合わせてくれる石鹸。

無くなると寂しくなる石鹸。

 

たんなる石鹸にいただくには

あまりに不相応な、

ありがたいご感想が

次々と届いたのです。

 「このエネルギーを、

違う何かのために使おう。」


障がい者施設で

「ゆかり石鹸」をこしらえることで、

利益を分け合うプロジェクト。

 

背中を押されるように、

社会的癒しの提案を掲げ、

発信し、

ともに動いてくれる方々と

ご縁をいただきました。
 

アメリカ在住者の

ワタシを支え、

日本で手伝ってくださる方、

応援くださる方・・・

ご縁がつながり、

愛知県愛西市の

障がい者支援センターの方々と、

約3年間にわたり、

プロジェクトに取り組みました。


ところが、

諸々の事情で

そのプロジェクトが

終了することになったんです。

 

手を差し伸べてくれた

千葉県の障がい者支援センターでも、

始めてはみたものの、

続けることができませんでした。

 

生活の全てをかけていた

プロジェクトの終焉は、

思いのほか

心身にこたえましたが、

同時に深く、

大きな課題があることにも

気づかされました。
 
ひとくちに

障がいと言っても、

そもそもの線引きが難しく、

個々に違います。

 

障がい者ではなくても、

日常の中に

「未病」状態の人が

多く存在すること。

 

自分もまた

そうなる可能性を

秘めていること。

 

そんな社会で、

これから何をどうしたいのか、

自分と向き合い始めました。

 

経験せずに知りえなかった、

障がい者支援の現状。

 

それを知ることで、

障がいの症状を緩和するには

どうしたらよいのか、

自分を含め、

未病の人たちに何があれば、

生きやすくなるのか。

 

新たな問いが、

私の前に立ち現れました。
 


歩み③ 父の急逝、善意と出会う


新たな問いを与えられて、

1か月が過ぎたころ、

父が急逝しました。

↑ 鹿児島市「癒し庵 ゆかり」

ベランダからの眺め


2014年1月30日のことです。

 

父の没後、

相続や母の介護のために

日米を行き来するようになり、

たくさんの善い方たちに

救われました。

 

母国語で行う手続きは

どれも

異国での不自由さに匹敵するほど、

新しく、

知らないことばかり。
 

それらが

どんどん吸収されていく感覚は、

ほのかな興奮状態を伴い、

時に寝食を忘れ、

味覚まで失うほどの

激務でもありました。


それにしても、

会う方会う方、善い方ばかり……

 

亡くなった父が

ワタシの前に

準備してくれたとしか思えない、

ミラクルばかりが

起こりました。

 

確かにこの時から、

何かが変わったんです。

ワタシが行動しているけれど、

ワタシじゃない。

 

誰かに助けられている?

力を貸してもらっている! 

 

そんな体験を

いくつもしました。
 
・・歩み④ 母の介護と別れ