歩み⑤ 振り返り、経験を生かす


 歩み④母の介護と別れ のつづきです。

 

思えば、母は幾度も驚異的な回復力を見せ、奇跡の生還を遂げてきました。70歳で卵のサルモネラ菌にあたった時も、80歳でクモ膜下出血を起こした時も。
けれども、今度は目を覚ましてくれませんでした。

2016年5月9日朝6時のグループホーム職員の呼びかけに、「はーい。」と返事し、お布団に包まれながらそのまま逝ってしまいました。


シニアハウス時代、気難しかった母は、グループホームに移動してから
ピンク色のほっぺたのやさしいおばあちゃんになっていました。


グループホームの職員の方たちが口々にこうおっしゃいました。

「おやさしい、善い方でした。」

なんともうれしい、ふわりと心の軽くなる言葉。
 お官もピンクを選び、お化粧をきれいに施した母の最期のお顔は、
それはそれは愛らしかった・・・。父から差し伸べられた手をしっかりと握って、母が天国へ行く姿が見えるような気がしました。


母を見送り、やがて少しずつ、わが身と夫婦の暮らしを振り返りました。幾度も大病に打ち勝ってきた母はきっと100歳でも元気でいるだろうと心して、ワタシも鹿児島に居を構えたのです。ワタシたち夫婦は合わせて、日米の行き来を実現し、ともに介護に向き合ってきました。


しかし、もしもこの時介護しかしていなかったとしたら・・・生活のすべてが「介護」だったとしたら、今のワタシは存在していないでしょう。


母の介護が始まってからすぐに仕事の再構築を始めました。

覚悟していた認知症発症に伴う、癇癪や徘徊にもまっすぐに向かい合いました。母の現状が厳しくなればなるほど、ワタシは仕事に励みました。おしゃれを心がけ、好きなモノに囲まれ、部屋には花を欠かさず、
にっこりといつも微笑みを絶やさぬことを心がけました。

長期戦を覚悟し、勉強をして資産の運用にも励みました。ワタシには、母の介護のことを相談できる血のつながった家族はいません。

いるけれど、いない。存在するけれど、相談ができない。

気持ちの問題だけではなく、介護にはお金の問題が付きまといます。
 
それを100%ひとりで行うということは、今までにない緊張を強いられるのです。「ご主人がいるでしょう?」いいえ、主人との生活費に負担をかけることはできません。

諸々の事情や取り決めの中で、思ったことはただひとつ。
これは、チャンスだということ。
すべて、新しいことを学ぶチャンスなんだということ。
よって、悲観することなく、なぜと悩むこともなく、ただただ自分の役割を受けとめよう。そのうえで、活かそう、進もうと思いました。


介護離職が社会問題のひとつになっている今、自分一人で抱え込まないことで、結果、 母にとってもよりよい時間を持つことができたと思っています。やりきるためには、何が必要なのか。

介護する人と、される人の関係を整えること。

さらに掘り下げると、自分自身の心の声を聞くことです。

 

母の介護をしようと決めたのはワタシでした。やらされている、やってあげている・・・・・そんな感情は皆無。それでも、時に身体は、警告を鳴らすのです。ありがたいことに、今何をしたらよいか、身体が
教えてくれるんです。

「メディカルアロマ」を取り入れて、心身を整えました。何が起こっても、同時進行で行うことができました。
可能にするためには何が必要なのか?
まっすぐに心に響く経験の数々が、その答えを持っていました。

・・歩み⑥ 終わりは始まり につづく