歩み⑥ 終わりは始まり


         歩み⑤、のつづきです。

 

2017年5月。なんとも体調がすぐれませんでした。
母が亡くなって1年。遺言により一周忌もしなかったので、母をしのぶ旅と森林療法を兼ね、鹿児島県内のお気に入りの場所へ行きました。
大好きな場所、それなのに心がざわざわしていました。
何事かと気になって、予定を早めて足早に自宅に戻ると、親友の訃報が届いていました。
 
兼ねてから闘病していた友の死は、母を亡くした時とは、ざわめき方が少し違いました。お通夜とお葬式、その翌日。
偶然にも、予定表はぽっかりと空白でした。飛行機のチケットも宿泊先も、無事に予約ができました。復路のバスも最後の1席。「あなたは、ちゃんと準備してくれた。ありがとう。」
年は私よりうんと若い。彼女の分まで生きている。生かされている。
その思いが、沈みがちな心を支えてくれました。
 
それから新たなご縁をいただき、仕事にも恵まれました。しかし、なぜかその仕事は3か月以上経ってから、すべてが終わってしまいます。
不本意。納得できない。人生には、こんな波が押し寄せるのですね。
  
一見、ネガティブなこの出来事も、必要なので起きていて、
ポジティブに向かうチャンスのある出来事。
試されているのだと、ひしと受け止めつつ、こうしてまた歩き始めています。
 

思えば、これまでも、経験し、失い、学び、その繰り返しの中で、自分の経験を伝えていくことを大切にしてきました。
それは、以前障がい者支援に心を合わせていたいた時の、あの情熱に匹敵します。カタチは変わっても、本質は同じ。
傷ついて、心が弱くなっている人に、自分軸を整えて、弱さを克服してほしい。これからを生きるために、ワタシを、ワタシの経験したことを使ってもらいたいのです。
 
「癒し庵 ゆかり」での活動は、静かながら、確実に一歩一歩前進しています。
 
境地は日々是好日(にちにちこれこうじつ)。

文字通り、毎日がよい日である、という意味ですが、
実はもっと深い、悟りの言葉です。 
その日その日が最上であり、最高であり、かけがえのない一日。
日々の、苦しみ、悲しみ、喜び、楽しみに対する執着から自由になり、
今日を素直に受けとめる。自然の中で生きているということを感じ、
1日を意のままに使いこなす、過ごせるところに、 真実の生き方がある・・・・・清々しい境地です。
 
あらがっても、何もどうにもなりません。
 「どうして、どうして」と泣いても叫んでも、解決には向かいません。ならば、これもひとつの教えと学び、受けとめようではありませんか。
そんな心持でいると、何があっても程よい距離で暖かく見守ってくれている存在に気づきます。
甘えることなく学ぼうとする自分にも気づき、ありがたいと思えます。
 
今を精一杯生きましょう。最善の道を行きましょう。
より深くあなたのお役に立てるよう、精進いたします。
 
 
「癒し庵 ゆかり」
癒し語りカウンセラー リッチ(福田)ゆかり

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